リンドバーグ第二次大戦日記 (下) (角川ソフィア文庫)電子ブックのダウンロード

リンドバーグ第二次大戦日記 (下) (角川ソフィア文庫)

, チャールズ・A・リンドバーグ

リンドバーグ第二次大戦日記 (下) (角川ソフィア文庫) は チャールズ・A・リンドバーグ によって作成されました 各コピー1232で販売されました. Le livre publié par KADOKAWA/角川学芸出版 (2016/7/23). Il contient 393ページ pages et classé dans le genre genre. Ce livre a une bonne réponse du lecteur, il a la cote 4.9 des lecteurs 2. Inscrivez-vous maintenant pour accéder à des milliers de livres disponibles pour téléchargement gratuit. L'inscription était gratuite.
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リンドバーグ第二次大戦日記 (下) (角川ソフィア文庫)電子ブックのダウンロード - 内容紹介 「ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋で日本人に行ってきたのである」開戦後、陸軍パイロットとして南太平洋に派遣されたリンドバーグ。ラバウルでの壮絶な空爆戦、零戦との一騎打ち――そこで目にしたのは米兵による日本軍捕虜への蛮行であった。戦争がもたらす残虐行為の連鎖、アメリカの自由と民主主義とは、人間が目指した文明化とは何なのか。未来への警句は、今なお重く響く。(目次)大戦前夜――米本国で(承前) 第四章 ファシスト呼ばわりされて―― 一九四一年 逆風にもめげず/進む参戦づくり/真珠湾火だるま/戦時下――米本国で 第五章 現役復帰、かなわず―― 一九四二年 大統領のしっぺ返し/ゼロ戦は勇敢で優秀だ/B24は欠陥爆撃機だ/バターン惨敗の真実/ 愛犬ソニーの死/生還率の高いB17/フォード帝国ゆらぐ戦時下――米本国で 第六章 戦場も根回しだ―― 一九四三年最前線―南太平洋で 第七章 日本軍と対峙した日々― 一九四四年 ラバウル爆撃行/捕虜をとるな/空中戦の一騎討ち/残虐行為の悪循環終戦時――ヨーロッパで 第八章 廃墟の中に立つ―― 一九四五年 殺人と凌辱と略奪/科学者を取り込め/生と死の尊厳主要登場人物リンドバーグ略年譜訳者あとがき 内容(「BOOK」データベースより) 「ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋で日本人に行ってきたのである」開戦後、陸軍パイロットとして南太平洋に派遣されたリンドバーグ。ラバウルでの壮絶な空爆戦、零戦との一騎打ち―そこで目にしたのは米兵による日本軍捕虜への蛮行であった。戦争がもたらす残虐行為の連鎖、アメリカの自由と民主主義とは、人類が目指した文明化とは何なのか。未来への警句が、今なお重く響く。 著者について ●チャールズ・リンドバーグ:1902年アメリカ・デトロイト生まれ。飛行家。1927年にニューヨーク‐パリ間の初の大西洋横断無着陸飛行を成功させる。太平洋戦争では陸軍パイロットとして参戦し、日本軍の零戦とも戦った。1953年に刊行した『翼よ、あれがパリの灯だ』(原題:The Spirit of St. Louis)でピュリッツァー賞を受賞。同作は映画化もされた。1974年没。●新庄 哲夫:1921年アメリカ・サンフランシスコ生れ。英米文学翻訳家。訳書多数。オーウェルの『1984年』の翻訳で知られる。2000年没。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) リンドバーグ,チャールズ・A. 1902年、米デトロイト生まれ。妻は作家のアン・リンドバーグ。1927年にニューヨーク‐パリ間の世界初の大西洋単独無着陸飛行に成功。1932年、誘拐事件で長男を亡くす。1935年、生理学者カレル博士と共に人工心臓装置を開発。ドイツ空軍の調査に派遣され政治の中枢にも関わる。第二次世界大戦に際し米国の参戦反対を強く訴え、ルーズベルト大統領との確執が生まれるが、開戦後はパイロットとして南太平洋に派遣、日本軍の零戦とも戦う。1974年、72歳でマウイ島で逝去 新庄/哲夫 1921年、米サンフランシスコ生まれ。東京新聞勤務を経て英米文学翻訳家に。2006年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)リンドバーグ第二次大戦日記 (下) (角川ソフィア文庫)を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
この本は、もっと日本国内でセンセーションを巻き起こしても不思議ではないと思うのだが、それ程には話題になっていないのは何故だろう?これから騒がられるのだろうか?1927年に弱冠25歳で、単独での世界初の大西洋横断飛行に成功して一躍世界的英雄になったリンドバーグは、その後、軍の要請を受けて、ナチス台頭で戦争前夜の様相を深めるヨーロッパに各国の航空戦闘能力の実情調査に赴き、英仏のみならず、ドイツやソ連の航空機の生産能力や空軍の戦闘能力等をつぶさにみて歩く。そのうえでドイツの航空機技術が抜群に優秀であることを実感し、「このままで戦争が始まったら、仮令米国が参戦しても、連合国側がドイツに勝つことは難しい」という結論に達するところから日記が始まる。そこで帰国後は「仮令、英仏がドイツと戦争を始めても、アメリカは参戦すべきではない」という趣旨の「アメリカ第一委員会運動」を起こし、特に反ユダヤ主義者のヘンリー・フォードを味方につけて、対独戦をもくろむルーズベルト政権への批判・反対運動を進める。リンドバーグ自身もまたある程度反ユダヤ的感情をもっていることを隠していない。しかしルーズベルトは、日本の真珠湾攻撃を絶好の口実として、欧州と太平洋とで戦争を始める。そうなると、リンドバーグは「始まってしまった戦争なら自分も戦う」と決意して南太平洋の戦場に赴く。この日記の第一の圧巻は、リンドバーグが南太平洋で身をもって見聞したアメリカ軍の日本軍壊滅戦の実態が、赤裸々且つ具体的に記述されていること。物資不足と飢餓に苦しみながら密林に身を顰めている日本軍に対して、米国軍将兵がとった行動が、表向きに報道されているものとは全く違ったものであったことを知り、読者は愕然とする。さらにリンドバーグは、ヒトラーが自決しベルリンが陥落した直後のドイツに赴き、そこで何が起きていたのかを、これも一つ一つの事実を拾い上げながら語っていく。ナチスドイツが何をしたか、そのナチ降伏後にドイツに進駐した連合国側の将兵は、どのような報復行為をしたか・・。日記は次の一節で終わっている。「ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、我々は太平洋で日本人に行ってきたのである。ドイツ人が人間の灰で穴を埋めることで自らを穢したと同じように、我々も又ブルドーザーで遺体を浚い、墓標もない熱帯地の穴に放り込むことにより自らを穢したのである。地球の片側で行われた蛮行はその反対側で行われても、蛮行であることには変わりがない。『汝ら人を裁くな、裁かれざらん為なり』(マタイ伝第7章1節)。この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない。あらゆる諸国民に恥辱と荒廃をもたらしたのだ。」
によって チャールズ・A・リンドバーグ
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